SIM フリーの iPhone を IIJmio で使っている人が海外で現地の SIM を入れるときの注意

海外出張で現地の SIM を使いたいのと、いわゆる三大携帯キャリアと契約したくないので SIM フリー iPhone を買って、IIJmio の SIM を入れて使っていますが、現地で SIM を買って入れる際に必ずすべきことがあって、これを忘れていたためにハマりまくったので、備忘のために書いておこうと思います。
(以下、おそらく IIJmio ユーザー以外の方々には関係ない話だと思います。)



IIJmio で iPhone を使う場合、「APN 構成プロファイル」がインストールされているはずです。これは「設定」-「一般」-「プロファイル」の中にあります。これがインストールされている状態で他社の SIM を入れると、電話は繋がるけどインターネットに繋がらないという状態になります。

今回はロンドンで EE という会社の SIM を買いました。説明書には SIM を入れるだけで OK みたいなことが書いてあるだけですが、実際には SIM を入れてからしばらく待つ必要があります。これを知らなかったので SIM を入れても電話すら繋がらなくて焦りました。
しばらくすると EE から SMS が届きます。これが来た時点で電話が使えるようになりました(市内某所に電話をかけて呼び出し音がしたことを確認)。
もし前述のとおり APN 構成プロファイルを削除していたら、おそらくこの時点でインターネットにも繋がったと思いますが、それを忘れていたのでネットに繋がらず、説明書を読み返したり電源を入れ直したりして時間を空費しました。何かの拍子にプロファイルを削除すべきことを思い出し、削除してみたところあっさり解決 (^_^) 。

逆に日本に帰ってきたら、元の SIM に箚し直すだけではなく、当然ながら APN 構成プロファイルを再度インストールする必要があります。したがって海外に行く前に IIJ の Web サイトに行って APN 構成プロファイルが掲載されているページを Safari のブックマークに登録しておくといいと思います。そうすれば帰国後すぐに空港の無料 WiFi でそこに繋いで、簡単にプロファイルをダウンロードできます。

以上、備忘のために書いてみましたが、次に海外に行くときにはここにこんな事を書いたことすら忘れそうです。


反省会(田園都市フィルハーモニー管弦楽団 第 16 回定期演奏会 2018.10.7)

エキストラで参加させていただいた田園都市フィルハーモニー管弦楽団での演奏会の録音をいただいたので反省会など。
最近は録音の CD ができる前に電子データで録音を聴けることが多いので、演奏した時の記憶が薄れる前に聴けて良いですね。



「大学祝典序曲」と「幻想序曲『ロミオとジュリエット』」では 1st を担当させていただきました。いずれも少ない練習回数で急ごしらえではありましたが、メンバーの皆様に致命的な迷惑をかけずに一人分の役目を果たせたという意味では及第点かなと思いました。
「大学祝典序曲」は当日のリハーサルで裏打ちと噛み合わず慌てたところがありましたが、本番では問題なく無難に進行 (^_^) 。全体的にバランスも悪くなく、でしゃばり過ぎていないがちゃんと聴こえているという感じですが、欲を言えば Trb. セクションとしてのまとまりはイマイチな感じで今後の反省点かなと思いました。

個人的に最も難しかったのは『ロミオ〜』で、本番当日までいろいろ不安が拭えませんでしたが、始まってみると本番で最も楽しめたのはこの曲だったかもしれません。練習で一度も間違えなかったところで凡ミスやらかしましたが(14:02 付近)、いきなりフォルテで一発出るところも、変則的なリズムで普段だったらビビりそうなところも迷わず行けた不思議な感覚がありました。これはおそらく結構飛ばしてた金管セクションの皆様のサウンドと、練習段階から始まっていた金井先生の雰囲気づくりのおかげだったのだろうと思います。ある意味、金井先生の術中にうまくハマれた感じがします。
そう思うと前述の凡ミスと、最後の最後でタイミングを探ってしまったのが残念でなりません。最後の音は金井先生とオケの間合いをつかめなかったために一瞬迷いました。あれは迷わずキメたかったところでした。

ドヴォルザークの交響曲第 8 番では普段めったにやらない 2nd を担当させていただいたので、そもそも自分がうまく 2nd にハマれるのかという不安が若干ありましたが、本番までには何とか 1st に追随して自分の居場所を見つけることができました。
録音を聴いてみると Bass Trombone が意外とワイルドに鳴らしてたので(本番中は隣がこんなに鳴っているとは感じていなかった)、もうちょっと自分も鳴らすべきだったかなとか、まだまだ周りを聴けてないないな、などと反省しましたが、まあ全体的には悪くなかったのではないかと思いますし、数少ないメロディラインにはそれなりにメッセージを込める的な吹き方もできたので、自分自身も楽しめた本番でした。

金井先生の棒楽しかったなぁ。


合奏での眼鏡選び

四十代も半ばを過ぎてから使い始めた眼鏡(乱視 + 老眼)にも慣れてきて、最近は一日のうちで眼鏡をかけている時間が長くなってきましたが、楽器(今は主に Trombone と Baritone)を吹くときだけはずっと裸眼でした。理由は主に二つあって、一つめは楽器を吹くときに顔が若干下向きになるので上側のフレームが指揮者とカブって邪魔なこと、二つめは横方向の視界が狭くなるような気がすることです。

これは意外といけるかもと思い、ブラスバンドの練習で Baritone を吹くときにも試してみましたが、これが意外と不快。理由は恐らく指揮者の場所が自分から見てかなり左寄りなのと、オケでの Trombone の時と比べて譜面台が近いためだと思われました。そこでもう一つの眼鏡(デスクワーク用の中近両用)に切り替えたら違和感が減りましたが、本当に合っているかどうかよく分からなくて、合奏中に何度か眼鏡をかけ換えて試しました。

しかし考えてみたら眼鏡プレイヤーは周りにもたくさんいるので、「もしかしたら自分の顔が下向き過ぎるのかも」と思い直して、先日のオーケストラの練習で、むしろ上側のフレームが指揮者に重ならないように意識して、メガネをかけ続けてみたら、意外と何とかなりました。このくらいの距離だと老眼部分の出番はなくて乱視部分のみの使用になりますが、合奏全体をとおして目の疲れが激減し、その結果として体全体の疲れも軽めな印象です。

さらに昨日は別のブラスバンドの練習で Trombone だったので、こちらでも両方かけ換えて試してみました。オケよりもブラスバンドのほうが配置が密集しているために譜面台が近くなり、どちらかというと中近両用の方が合うかな、という感じ。

結局、譜面台の距離に応じて使い分けることになりそうですが、どうもブラスバンドの時の譜面台の位置が、遠近両用と中近両用のそれぞれの守備範囲の間のスキマに入ってしまっているような気がしてなりません。かといって演奏用に新しく眼鏡を作るのもちょっとやり過ぎな感じもします。もうしばらくいろいろ試しながら様子を見ようと思います。


楽しく車を運転できるのはいつまでか

車が趣味とは言いませんが、車の運転は好きです。
別にサーキットに行かなくても、街乗りで普通に交差点を曲がるだけで十分楽しいです。そういった意味では安上がりな奴だと思います。
そんなに特別な車に乗っている訳ではありませんが、これまで所有した車は全てマニュアル・トランスミッションです。
車を運転する時間が最近ずいぶん減りましたが、運転席に座ってエンジンをかけるときは、今日もこの車を運転できるという安心感と、ちょっとした昂ぶりが必ずあります。
昂ぶりすぎても危ないので、このくらいがちょうどいいと思います。

でも、こんな楽しみをあと何年続けられるだろうかと思います。
そのうち世間の自動車は全て電気自動車か何かに移行していくでしょう。ガソリンを入手しにくくなる日も、意外とすぐかもしれません。ガソリンが極端に値上がりするかもしれませんし、電気自動車への移行を後押しするためにガソリン税が法外に引き上げられるかもしれません。そういう状況でもなおガソリン車に乗り続ける行為はもはやマニアとかエンスーの領域に入っていきます。

でも私は電気自動車の運転が楽しくなるとは到底思えないのです。
運転席に座って電源スイッチを入れる行為で昂ぶりを感じる自分を想像できません。そもそも AT 車に乗るだけでも既に相当モチベーションが下がっているくらいですから、レシプロエンジンがついてない車なんて絶望的です。我ながら面倒な奴に育ってしまったものです。

世間の自動車が電気自動車などに移行していくのは、主に気候変動を緩和(mitigation)するためです。
そのような社会に合わせて振る舞いを変えることを、気候変動への適応(adaptation)といいます。そういった意味では、世間の自動車が全て電気自動車になったときに、そこに楽しみを見出して生きていくのも、個人的なレベルでの気候変動適応と言えます。

実は仕事関係では、多くの企業に気候変動適応に取り組ませるにはどうするか、というような議論をしています。しかし気候変動への適応に最も時間がかかりそうなのは自分自身かもしれないのです。自動車メーカーの皆様にはぜひ、運転が楽しく感じられる電気自動車を開発していただきたいと思います。


私が生年月日を非公開にする理由

わざわざ書くほどの事でもないような気もするのですが、某所で話題になったので一応。

 

私は Facebook などのプロフィールで生年月日を非公開にしています。

歳がバレるのが嫌だからではありません。むしろ「意外と _ _ _ _ _ _ ですね」とか言われるのが面倒なので先に知っておいてほしいと思うくらいです。ちなみに 1968 年生まれで現在 50 歳です。

生年月日を非公開にしているのはセキュリティ上の理由です。

(写真は本文とは関係ありません。)

随分前のことになりますが、転居、転職、クレジットカードの引き落とし口座の変更などの理由でクレジットカード会社など複数の金融機関に、何度か電話しなければならない事がありました。オペレーターが電話に出ると最初に本人確認のプロトコルがあります。ここで何を聞かれるかは金融機関によって異なりますが、だいたい自分のフルネーム、住所、生年月日などを聞かれ、これに答えられれば「ありがとうございます、ご本人確認ができましたので…」ということで用件に入ります。

これをどう感じるかは人それぞれだと思いますが、私は「この程度の情報でいいの?」と若干心配になりました。もっと他に聞くことないのかよと。例えば暗証番号とかパスワードとか、最近そのカードで買ったものとか、好きな女優は誰かとか、本人でなければ知らなさそうな事をもうちょっと何か聞いて確認してくれよと思ったのですが、とりあえず生年月日を淀みなく言えれば本人確認をクリアできる可能性が格段に高まるようです。ということは、生年月日を他人に知られるということは、なりすましの被害にあう確率がかなり高くなるという事ではありませんか?

そう思った私は生年月日を公開するのをやめました。もちろん Facebook などではプロフィールの公開範囲を設定できますが、あんなの何らかのバグや設定ミス、予告なしの仕様変更でどうなるものか分かりません。

私が心配しすぎかもしれませんので、他の皆さんに同じようにすべきだと言うつもりはありません。これを読んで心配になったら非公開にすればいいし、心配しすぎだと思ったらそのままにすればいいと思います。むしろ、これが心配しすぎだ(=生年月日くらい知られても何の問題もない)ということを何らかの根拠とともに教えてくれる人がいたら私はとても嬉しいです。

私はこのような考え方ですので、生年月日は非公開にしていますし、Facebook で「今日は _ _ _ _ _ さんの誕生日です」という通知を見ても特に何もしません。冷たいなぁと思われるかもしれませんが、それよりも大事なことがあると今のところ思っていますので。


マレーシアでの怒涛の 2 日間が無事終了

マレーシアに来るのは 3 回目(乗り継ぎのみだったのを含めれば 4 回目)ながらクアラルンプールの街中に入るのは初めてなので、中途半端にアジア慣れして気が緩んで財布を盗まれたりしないように、いつもよりちょっと気をつけて行きました。

今回は BCI アジア地区のカンファレンスで、講演 1 コマとパネルディスカッション 2 コマを務めさせていただき、いろいろな意味で日本では味わえない緊張感が抜けないまま 2 日間を何とかこなした感じです。

講演を引き受けたら参加費がタダになるというので、金に目が眩んで引き受けたものの、日本語でも話したことのない内容で臨んだので、こちらの参加者の方々が興味を持ってもらえるかどうか懸念が残ったまま本番当日を迎えました。加えてパネルディスカッションも日本でよく見られるような予定調和的なスタイル(各パネリストがあらかじめ用意した資料にそって話した後に、打ち合わせ済の質問に答えつつ話を展開する)と違って、その場で質問を投げられたり、参加者からガンガン質問させたりする進行だったので、パネリストとしては気が抜けないセッションになりました。

幸いなことに、見知らぬマレーシア人の方々の中にも頷きながら聞いてくれる人がソコソコおられたし、何人か直接感想を言いに来てくれたので、概ね参加者の方々にとって何かしらプラスになる話ができたようです。

自分の出番が終わった後で、何人かからは結構込み入った質問や相談をされたりしたので、お役に立てて良かったと思うと同時に、自分にとっても勉強になりました。

自分の出番は 2 日目だったので、1 日目は夕食の後に講演の準備や練習をギリギリまで続けざるを得ず、2 日目は終わった後に関係者の夕食に呼ばれて 6 ヶ国宴会で飲み、早朝チェックアウトのためロクに寝られなかったので、無事にクアラルンプールの空港までたどり着いたところでようやくこんな記事を書く余裕ができました。

次回はもう少しゆとりのある日程で来たいなと思いつつ、これからどのような形で業界への貢献を続けていこうかと考え始めています。


とりあえず自分のソロのみ即席反省会

思いのほか早く演奏会当日の録音を聴くことができたので、Donegal Bay を早速反省。

  • 全体的にスムースさが足りない(もうちょっとスムースに吹けてると思っていた)。まず吹き始めの音でちょっとつまずいたので、余計にモタつく感じに聴こえると思う。
  • やっぱり八分音符が若干走り気味。
  • 十六分音符はかなり大事に吹いたつもりだったが録音を聴くと全部短い (^_^; 。こういうところをゆったり行かないと安っぽく聴こえる。
  • 前半の音色が全体的にこもって聴こえる。というか喉で息を押し込んでいるような音。結果的に mp って感じがしない。終盤は地声みたいな音が聴こえるので明らかに息が足りてない(これは演奏中に自覚してた)。音色に関して言えば、Renaissance 中間部の二小節のソロの方が Baritone らしい音を出せていたように思う。ってことはやはりメンタルの問題か。
  • Flugelhorn や Baritone との duo はだいたい合って聴こえる。これは良かった。
  • 途中で崩れかかったところを何とか持ち直すことができたのは良かった。従来なら一旦終わってた。持ち直せたのは精神的に少し余裕ができたからだろうと思う。
  • 最後の 8 小節の出来は本番が一番良かったと思う。ロングトーンであまり不安を感じなくなったのは、やはり精神的にちょっと余裕ができたのと、安東先生から教わったイメージのおかげ。

まあでも初めての金管バンドでの Baritone でのソロにしては及第点だったと思います。


メンタル面に不安を抱える人に合うかもしれないソロ練習法

昨日は所属している金管バンドの定期演奏会でした。

入団二年目にして Donegal Bay の Baritone Solo の機会をいただき、多くの方々の力をお借りして何とか吹き切ることができました。

自分の場合、演奏中に聴こえている自分の音(音色、音程)や自分が自覚しているテンポがお客様に聴こえている演奏と全然一致しないという致命的な欠点があるので、果たしてどんな演奏だったのか、うまくいったのかはまだ分かっておらず、録音を聴くまでは予断を許さない状況ではあるのですが、演奏した本人としてはとりあえず何とかなったと思っていますし、(いつもよりは)心理的な余裕を持って演奏することができたと思います。



ところで今回のソロに取り組むにあたり、自分にとっては効果的な練習方法を見つけたので共有したいと思います。次の条件が当てはまる人には効果があるかもしれません

  • ソロを吹くときにとても緊張する(アガる)
  • 演奏中に聴こえている自分の音と、それを録音して聴いた音とが結構違う(もしくは自分の演奏を録音して聴いたことがない)

なお先にお断りしておきますが、以下の方法は某サイコセラピストが本などで紹介している方法がベースになっています(丸パクリといっても過言ではありません)。

  1. まず(今回ご紹介する練習法に限った話ではありませんが)どんなふうに演奏にしたいか自分なりのイメージを考えます。さほど具体的でなくてもいいと思います。有名なプロの演奏を聴いて「こんなふうに吹けたらいいなぁ〜〜」という程度でも、イメージが無いよりマシだと思います。ちなみに私はこの段階では安東京平先生に相談して具体的なアドバイスをいただきました(オプション)。
  2. 自分のソロ演奏を録音します。音質の良いレコーダーを使った方が効果が高いと思いますが、iPhone アプリの PCM Recorder などでもいいと思います。私の場合は団員の K 口さんが毎回録音してくれていたので大変感謝しています。
  3. 録音を聴きます。あまりの下手さに愕然とします。「もう少しマシだと思ったのになぁー」、「こんなはずじゃなかった」と思うくらい、自分が演奏してた時の手応えと録音結果のギャップが大きい方が、効果が大きくなるのではないかと思います(ここで音質の違いが分かるくらい高音質のレコーダーが必要)。
  4. 前述の 3) で結構凹みますが、めげずに繰り返し聴きます。できれば翌週の楽団練習まで毎日聴きます。慣れてくると、自分の下手な演奏を冷静に聴けるようになります。
  5. これをソロの練習ごとに繰り返します。ソロを吹くたびに録音して聴き直し、凹んで、それに慣れるのを繰り返します。
  6. これをしばらく繰り返すと、演奏中の自分をある程度客観的に見られるようになって、心理的に余裕ができ、アガりにくくなります。あるいは、アガってしまったとしても「あーなんかオレ今アガっちゃってるなー」と思える余裕ができます。

自分の場合は、ミスった時にある程度冷静さを保てるようになったように思います。ちょっと極端な言い方をすると、従来は音を出した瞬間に自分の下手さに驚いて演奏が崩れるという事が度々あったように思います。そういうのが減るだけでも安定してきたのでしょう。

万人に合う練習法かどうかは分かりませんが、練習時間がないけど何かできることはないか?と思っている人や、メンタル面で不安を抱えている人には合うかもしれません。ご参考まで。

 


息のスピードに関するイメージ(管楽器奏者向け)

(先にお断りしておきますが、この先に有益な情報は一切ありません。)

先日は安東京平先生のコーディネートのおかげで実現した Dr. Demondrae Thurman の公開クリニックを聴講できて、とても勉強になったし刺激も受けたのですが、彼の説明でひとつだけどうしても腑に落ちなかったことがありました。



ある受講生に対して「暖かい息で吹け」とアドバイスされたのですが、その後に「暖かい息のほうが(スピードが)速いから」と説明していました。

管楽器を演奏するときに「暖かい息で」というのは、それこそ自分が中学生の頃からよく言われている事ですが、暖かい(つまり窓ガラスが曇るような)息の方がスピードは遅いと思っていましたし、今でも楽器を演奏するときは、遅い息を使うイメージで吹いています。クリニックにおいても、Thurman 先生は受講生の手に自分の息を吹きかけて、暖かい息と冷たい息との違いを伝えていましたが、冷たい息を冷たく感じるのは、スピードの速い空気が手に当たるからだろうと当然のように思っていました。しかし Thurman 先生は暖かい息の方が速いと言います。

聞き間違いかと思ったので、当日通訳をされていた安東先生に後から確認したのですが、聞き間違いではありませんでした。暖かい息の方が実は物理的なスピードは速いということのようです。しかし腑に落ちません。

Thurman 先生が「ロウソクの火を吹き消して試してみろ」とおっしゃいました。質問するチャンスがなかったので悶々としながら、帰りのコンビニでロウソクを購入。こんなデカい箱しか売ってませんでした。このくらい試さないとお前には分からないだろ、という神様のお告げでしょうか。

帰宅後に試してみましたが、冷たい息の方がロウソクを遠くに置いても消えるし、近くだと冷たい息と暖かい息との間で火の消え方の違いが分かりません。結局疑問と大量のロウソクが残りました。


読書メモ『空白の天気図』(柳田邦男)読了

この本を始めて読んだのは大学生の頃でした。御巣鷹山に旅客機が墜落した事故のニュースを契機に柳田邦男さんの存在を知り(当時は「航空評論家」という肩書きで NHK のニュースに出ていた)、『マッハの恐怖』や『航空事故』など柳田さんのノンフィクションを片っ端から読み漁った時期がありました。当時は新潮文庫に柳田さんの一連の作品が並んでおり、古本屋で柳田さんの文庫本を全部買って読んだ中に『空白の天気図』もありました。

その後二十年以上経って、たまたま気象台の方々と関わる仕事を担当することになったので、あらためて読み直してみようと思い、kindle 版を購入しました(本棚には若干色の変わった文庫本がまだあります)。



この本は昭和 20 年 8 月の原子爆弾と同年 9 月の枕崎台風という二つの災害に対峙した広島地方気象台の関係者を、丹念な取材に基づいて描いたノンフィクションです。

柳田さんの他の作品にも共通して言えることですが、徹底した取材で収集した資料や判明した事実に基づいて詳細かつ具体的に書かれているからか、文章に迫力があります。きっと膨大な取材ノートが蓄積されているんだろうな、と想像させられるリアルさです。もちろん私は柳田さんの取材ノートなど見たことはありませんが、文章を読んでいると膨大な資料や取材ノートの山が目に浮かぶようです。パソコンもインターネットもない時代に、これだけの情報を集めて、整理して、文章にするのは大変な仕事だっただろうと想像します。

序章は鹿児島県の枕崎測候所で、台風が接近する中で必死で観測を行う場面から始まり、ここで読者は当時の気象観測がどれだけ大変な作業だったかを知ることになります。しかも通信線が途絶しているため観測データを中央気象台(現在の気象庁)に打電できず、そのため中央気象台では猛烈な台風が近づいていることを知ることができずにいます。

今では恐らく気象観測の多くは機械化・自動化され、膨大なデータが途切れることなく送受信されて規則正しく天気予報が発表されますから、我々にとって天気予報は空気のような「あって当たり前」のものになっていると思いますが、冒頭数ページを読むだけで当時の気象観測の大変さ、天気予報の有難さ、防災における気象情報の重要性が非常に強く印象付けられます。この本を読み進めるには、まずこの序章を読んで気象情報の価値や重みの感覚を調整する必要があったのだろうと思います。

また、終戦を間近に控えた中央気象台の状況が書かれた部分で、原子爆弾投下当日の様子が次のように記述されています。

「八月六日のことであった 。広島地方気象台からの気象電報が一日中届かないという事態が起こった 。広島が空襲を受けたことは 、午後になって合同勤務の軍からの情報でわかったが 、どの程度の被害が生じたのかについては皆目不明であった 。地方都市からの通信が途絶することは日常茶飯事になっていたから 、中央気象台の予報現業室では 、広島のデ ータが途絶えていることにはじめのうち注意を払う者はいなかった 。」

当時の情報の伝わり方ってこの程度だったんですね。昨年見た映画『この世界の片隅に』でも、呉に住む方々が広島で起こったことを知るまで随分時間がかかった様子がリアルに描かれていました。あれは一般市民の目線でしたが、この本によると中央官庁においても広島で何が起こったのか分かっていなかったんですね。そのような事も含めて当時の状況が克明に描かれていて、大変読み応えのある本です。

この本の中で中心人物として描かれている技師が数度の転勤を経て広島地方気象台に戻ってきたところから後が「終章」となっています。この終章が結構長く、しかもとても重たい問題提起も含んでいて、ずっしりとした読後感が残りました。

この本はかつて新潮社から出版され、新潮文庫に収められたあと絶版となったものを、東日本大震災の後に他の著作とともに文春文庫として復刻されたものです(私が最初に読んだのは新潮文庫版でしたが、kindle 版は文春文庫版が底本となっています)。柳田さんが東日本大震災における原発事故を目の当たりにして、かつて『空白の天気図』にこめたメッセージをあらためて届けたいとの思いから、このような復刻を提案したとのことです。そういった意味では、既にこの本を読んだことがある人も、いま改めて読みなおす意味があるように思います。