劇団 DULL-COLORED POP の「福島三部作」第三部で感じた、劇場に行くことの価値

現在東京芸術劇場シアターイーストで公演中の、劇団 DULL-COLORED POP 福島三部作の第三部初日を観てきました。

同じ劇団で同じ作家による連作、かつ同じ人の演出でありながら、先日観てきた第二部とは随分異なるテイストの劇になっていました。私はまだ第一部を観ていませんが、恐らく第一部、第二部を観ていない人が第三部だけ観ても十分楽しめると思います。
もちろん第一、二部との繋がりが現れるシーンもあって、分かれば分かったで面白いのですが、割合としてかなり少ないので、前作を知らないと話の成り行きを理解できないという事はないと思います。

「異なるテイスト」というのはどの辺だったかというと、私にとっては第二部と違って、泣ける場面とかは無くてひたすら考えさせられる舞台だったということです。「私にとっては」とわざわざ書いたのは、twitter でいろいろな人の感想を見ると、感動したとか泣いたという方々も結構いらっしゃるからです。もしかして自分は感受性が低いのか?と余計な心配をしたりもしました。

いや、面白くなかったという意味ではないんです。役者さんたちが(たぶん)舞台からほとんど降りず(でも多くの方々は二役やってて)、舞台のセットはほとんど変わらず、劇の流れはほとんど止まらず、しかし明確に次々と場面転換していくという展開は見事という他ありません。
そのような舞台にいる役者さんたちから発せられる言葉は、ひとつひとつが重く、研ぎ澄まされたものでした。余計なお世話だとは思いますが、これらを台詞として語る役者さんたちも苦しく辛かったかもしれません。
舞台で語られていた苦労や風評被害、差別などの問題については、知識・情報として知っていたものも多かったのですが、とても考えさせられる見せ方で突きつけられたと思いました。
これらの言葉を劇場で、生で突きつけられるという経験をできて良かったと思いました。
この経験は今しかできないと思うと、できるだけ多くの方々に劇場に足を運んでほしいと思わずにはいられません。

上演スケジュールや空席情報、チケットの買い方などはこちらが分かりやすいと思います。—> 「DULL-COLORED POP(ダルカラ) 福島三部作 一挙上演 チケットご予約方法など諸々ざっくりまとめ!」(出演者の方のブログです)

第三部は「語られたがる言葉たち」というタイトルですが、誰でも何かしら「語られたがる言葉」を持っていると思います(私も第三部を観て新たな「語られたがる言葉」が出来てしまったから、こんな夜中まで起きてブログ書いてる訳ですが)。そんな言葉を語ることがいかに大事か、どれほど難しく、辛いことかを考えさせられた劇でした。

劇としてはこの第三部で完結しますが、現実の問題はまだ続いています。それを忘れてはいけないと思いますし、忘れさせまいという意図が感じられるエンディングでした。台本の内容と役者さんの語り方の両面からそのような意図を感じました。

劇団 DULL-COLORED POP の「福島三部作」はまだ意外と席が空いてるらしいよ

演劇とはほぼ無縁に 50 年も生きてきた自分が、ふとしたきっかけで今年の 2 月に劇団 DULL-COLORED POP の「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」を観てしまったばっかりに、すっかり演劇にはまってしまった訳ですが、その「くろねこ〜」の時に既に予告されていた同劇団の福島三部作(のうちの第二部)の公演が東京芸術劇場シアターイーストでようやく始まりました。

第一部は既に福島県で昨年上演されたそうなのですが、当然ながら観ていないので、三部作の第二部から観たわけです。スター・ウォーズに例えるといきなり『帝国の逆襲』から観るようなもので、大丈夫かなと思いましたが全く杞憂でした。
なぜなら、この後どうなるかは既に知っているからです。最悪の事故という形で。

まだ第二部しか観ていない状態でこの記事を書いていますが、第二部単体でも十分観る価値があるくらい面白い(というか凄い)舞台でした。第二部で描かれているのは福島県双葉町における、1985 年の町長選挙から 1986 年のチェルノブイリ原発事故の直後くらいまでの間の、もともと原発反対運動のリーダーだった人が原発推進派として町長になった経緯とその後の行動です。

実はこの舞台を観るまで、反対運動のリーダーが推進派として町長になったというのが現実だったことも知らなかったのですが、普通に考えたらあり得ないような変節がなぜ起こったのか、(ここは創作ですが)リアルかつグロテスクに描かれていて、とても見応えがありました。

ネタバレは避けたいので内容に関する説明は控えますが、双葉町をはじめとする地元の方々がどのように原発と向き合ってきたのか、原発の影響で町が(およびそこに住む人々が)どのように変わっていったのか、いろいろな切り口から描かれていて、とても考えさせられました。しかしながらエンターテインメントとしても面白く作られていて、笑いながら考えながら感じ入って泣くという、観る人にとってちょっと忙しい(というか濃い)舞台でした。

三部作全てを観ることで、原発問題を 3 つのタイミング(建設前、建設後に町の財政が潤っているとき、事故後)でそれぞれ考えさせられることになるのだろうと思います。

私は普段あまりこういうのを人にお勧めしたりせず、どちらかというと勝手に感想を書き散らかして、「まあ観たければ観れば?」みたいな態度が多いのですが、これに関しては多くの方々に観ていただきたいと思うので宣伝情報を書きます。

下記リンク先の公式 Web サイトのページをしばらく下の方にスクロールしていくと公演情報の詳細があります。なお「8/23・24・25・26・27・28の通し券が、お蔭様で完売となりました」という記述がありますが、これは第一部から第三部まで同じ席で続けて観ると割引になるというセット販売分が完売になったというだけで、各回ともそれなりに空席はあるようです。

劇団 DULL-COLORED POP 公式 Web サイト『第20回本公演「福島3部作・一挙上演」』

実は上演スケジュールや空席情報、チケットの買い方などはこちらの方が分かりやすいかもしれません。—> 「DULL-COLORED POP(ダルカラ) 福島三部作 一挙上演 チケットご予約方法など諸々ざっくりまとめ!」(出演者の方のブログです)

三部作がどのような作品か、ざっくり知りたい方のための「5 分で分かる!!福島三部作」(これも出演者の方の twitter より)

 

とりあえず自分自身は、この劇が上演される現場に立ち会えたことが嬉しい。

この後の第三部と第一部も観に行く予定です。

 

安東京平先生に Bydlo のソロを相談しに行ってきたよ

所属オケで「展覧会の絵」の Bydlo のソロを担当することになったので、すっかり私にとって Euphonium 駆け込み寺となっている安東京平先生にレッスンをお願いしてきました。Euphonium 奏者にとっては定番的なソロですが、私にとってはイマイチ掴みどころが無く悶々としていたところ、先生といろいろ相談しながら作りたいイメージの方向が見えてきました。安東先生のレッスンは短時間の中でたくさんの新しい視点を下さるので大変勉強になります。

以下、レッスン直後に近所のミスドで打ち込んだ備忘録です。

ソロのレッスンに入る前に基礎練習

  • 弦楽器で弦が最もよく響いているときのボウイングのイメージを持つ。弦の動きが小さすぎて音が止まるわけでもなく、弦が走りすぎて滑って鳴らないわけでもなく、ちょうどいい速さと強さでボウイングできている感じを味わいながら吹く。
  • 音階を吹くときに一つ一つの音を置きに行くと作為的な感じがするので、音が自然に本来の場所に収まっていく感じを目指す。そのためには考えながら吹くよりも感覚重視にしたほうが良さそう(効果には個人差があります)。

ソロのレッスン

  • まず冒頭の弦楽器の伴奏を吹いてみてからソロを吹く練習をしてみる。八分音符の伴奏の感じをつかんで、それに乗っかってメロディを吹くことで、表拍に自然にウェイトを乗せる。
  • 先生に伴奏パートを吹いてもらってソロを吹いたときに、伴奏より先に行ってしまう場合があることに気づいた。pesante の感じを出すためには絶対に弦の伴奏より先走らないように気をつけたい。できればチェロの右手を見ながら吹きたい。
  • 2 –> 1 のフィンガリングは意外と曲者なので、バルブの切り替えのタイミングと息とビッタリ合わせることを特に意識して狙う。5、6 小節目の Cis –> Gis は Cis で息の流れをしっかり作って Gis で息を抜かないように意識するとうまくいきそう(効果には個人差があります)。
  • 14 〜 17 小節目は伴奏のコードの変わり方を味わいながら、そこに上手く乗っかる(伴奏パートを吹けるように練習しておこう)。
  • 18 〜 20 小節目はソロのメロディとしては終わりなので収まっていく方向ではあるが、曲としては tutti に向かって盛り上がっていくところなので、収めていく感じと盛り上がっていく感じを両立させる必要がある。音量は若干絞りつつ息のエネルギーは抜かないというようなイメージが良さそう(効果には個人差があります)。
  • [42] から弦が tutti でメロディを弾くときのボウイングを観察して真似てみよう。

以下、マニア向け情報

ところで、「展覧会の絵」の CD はいろいろ出てますが、Euphonium 吹きとしては Bydlo のソロを誰が演奏しているか知りたいですよね。CD のパッケージにはそんなことまでいちいち書かれていないので分かりませんが、安東先生がお持ちの CD では次のようになっております(敬称略)。

  • Paavo Jarvi 指揮 NHK 交響楽団(斉藤充) <– Apple Music に有り〼
  • Andrea Battistoni 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団(安東京平) <– Apple Music に有り〼
  • 秋山和慶指揮 東京交響楽団(外囿祥一朗) <– Apple Music に見当たらず

ちなみに安東先生が演奏している CD はこちら(安東先生の iPhone スクショより (^_^; )。

演劇の演出ってこういうものだったのか!

先日観に行った DULL-COLORED POP の舞台「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」は、同じ脚本を 4 人の演出家、4 組のキャストで上演するという形でしたが、観劇デビューの私にとって刺激的な内容だったことに加えて、もともと凝り性なのが災い(?)して、演出が違うとどうなるのか、どうしても知りたくなってしまいました。

谷チームの舞台を観た後に自分の予定を確認して、まず最終日の東谷チームと井上チームの公演を予約。自分が行けそうな百花チームの公演は既に予約受付を終了していましたが、当日でも入れそうな tweet を発見。

これに賭けて行ってみたら予約なしにもかかわらずギリギリで入ることができ、結局 4 チーム全ての舞台を観てしまいました。

最も驚いたのは、「演出でここまで変えていいのか!」という事でした。ネタバレはまずいと思いますので内容に言及するのは避けますが、まず舞台セッティングからして、最も簡素な(というかテーブルと椅子しかない)谷チームから、仕事場の机や家族の写真まで用意されている井上チームまで全部違いました。井上チームに至ってはカメラ(ちゃんと脚本に合っている古いニコン)(正確には Nikomat EL)まで置かれていたので、既に筋書きを知っていた自分としては、これがどんな風に使われるんだろうかと想像しながら開演を待ちました。

幕開けのしかたも全部違うし、台本が一部書き換えられてたのも驚きでした(演劇の世界ではこのくらい普通なのでしょうか)。最後に観た井上チームが最も大胆に台本を書き換えていたように思いました。

また、台本に対する解釈の違いからか、同じ台詞でも演出によって重きをおく場所や間合いが全然違ったりして、毎回新鮮な感じがしました。最初に谷チームの舞台を観て筋書きを全部知っていたので、もはや他のチームの舞台はあまり楽しめないのではないかと心配もしましたが、全くの杞憂で、この先どうなるか知っているのにこの先どうなるか分からないという、不思議なスリルを味わいました。

まあよく考えてみたら、クラシックのオペラとかシェイクスピアのような演劇を観る人達は、筋書きなんか全部知っていてもなお毎回楽しんでいる訳ですから、それと同じだと思えば当然なんですけどね。

さらに、4 チームの舞台をコンプリートした特典として、演出をされた皆さんのサイン入りの台本をいただきました。

全部観終わった後にあらめて台本を読んでみて驚いたのは、台詞以外の指示がとても少ないことでした。例えば台詞と台詞との間にどのくらいの間合いをとるか、その間にどう振る舞うかなど、かなりの部分が演出家と役者に委ねられているんですね。台本にそういう「余白」がたくさんあって、その余白をどう使うのか、演出家と役者とのあいだで議論したり試行錯誤したりしながら、舞台をつくっていったのだろうということが、あらためて分かった気がしました。

そういった意味では音楽においても、楽譜に書かれていること以外に、実はたくさんの余白があるのかもしれません。そういう余白を自分はもっと見つけてうまく使ったほうがいいのではないか、などと考えたりもしました。

それから、最も大胆に台本を書き換えたと思っていた井上チームが、ラストシーンに関しては最も台本に忠実だったというのも驚きでした。これは台本を読まなければ分からなかったことです。

演劇の世界のことなんて全く知らなかったのですが、4 バージョン同時公演という企画のおかげで、演劇の面白さや深さをいろいろな観点から楽しめたように思います。普段から演劇に関して情報収集していたわけでもないのに、このような魅力的な舞台に出会えて本当に幸運でした。

「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」観劇

今日、この歳になって初めて演劇を観てきました。
たまにしか書かないこのブログの、およそ 50 日ぶりの記事が観劇の感想になったことに自分でも驚いていますが、何かを書かずにはいられない舞台だったということで。

演目は DULL-COLORED POP という劇団による「くろねこちゃんとベージュねこちゃん」。同じ脚本を 4 人の演出家、4 組のキャストで上演するもので、私が観に行ったのは「谷チーム」による 2 月 20 日(水)19:00 の公演でした。

きっかけは、春名風花さん( @harukazechan )(通称「はるかぜちゃん」)という女優の twitter でした。はるかぜちゃんの twitter は子役だった数年前から(私でも知っているくらい)有名だったのですが、最近またネットで話題になった投稿があり、こんな大変な思いをしてまで演劇に打ち込む人って、一体どんな芝居をするんだろうかと知りたくなっただけです。

つまり(劇団や役者さんには失礼な話かもしれませんが)演劇とはほとんど関係ない好奇心で出かけたのですが、観てみたら本当に面白い舞台でした。開演前はキャストのうち数人がステージ上をプラプラ歩いてたり柔軟体操してたりして、まあクラシックの演奏会で言うところのアメリカン・スタイルみたいな感じだったのですが、(ネタバレを避けるため内容に関する記述は控えますが)開演のアナウンスから切れ目なく劇になだれこんでいき、観ている方もそのままスルスルっと劇中の世界に没入していきました。

劇の内容はタイトルのホンワカしたイメージからは程遠い、笑いと狂気が入り混じった、平凡な人々の(きっと自分の中にもある)闇を暴く物語。「迫真の演技」という表現が陳腐に思えるほど鬼気迫る舞台で、90 分が本当に短く感じました。はるかぜちゃんも、特に怒って叫ぶ場面などは最後列の席で観ていても凄い迫力でしたが、単に勢いにまかせてキレてるだけではなく、ちゃんとメッセージが伝わる凄さがありました。こういう臨場感はやはり生の劇場でないと味わえないでしょう。

劇が終わって我に返ったとき、自分はこんなに真剣に音楽と向き合っているだろうか、このくらい全力で仕事に取り組んでいるだろうか、などと考えさせられもしました。そのくらい密度の高い舞台でした。

自分でも自分の行動が意外すぎて笑ってしまいましたが、終演後にはパンフレットも購入し、いい年こいてサインなんかもらっちゃいましたよ、はるかぜちゃんの。

終わった後に、劇場を出たところで余韻を感じながら Facebook に一言感想など書いていたら、にわかに雨が降りだすという、脚本に通じる見事な自然の演出もあって、とても印象に残る舞台となりました。また近いうちに他の俳優や他の劇団の舞台にも足を運んでみようと思います。

Adobe の「源ノ角ゴシック」フォントいいよね

確か 3 年前くらいから自分のマシンに Adobe の「源ノ明朝/角ゴシック」をインストールしています。スッキリしていて読みやすく、かつバランスが良い書体(しかも無償!)なので好きなのですが、仕事でもそれ以外でも、何かしらファイルを作るときは相手に送ることが前提の場合が多いので、普段は結局無難な「MS P 明朝/ゴシック」あたりを使っています。
先日、年賀状を作るときに(ちょっとだけですが)「源ノ角ゴシック」を使ってみました。
せっかく無償公開されているんだし、インストールも簡単(Mac ならコマンド一発でインストールできる(注 1))ので、もっと広まって欲しいなと思います。
ところでこの記事を書こうと思って Adobe のサイトを見たら、最近「源ノ角ゴシック」がアップデートされたそうで、下記のサイトにアップデート内容が説明されていますが、同じ文字に対して日本語、中国語(しかも繁体字、簡体字に加えて香港向けが別になっている)、韓国語でそれぞれ字形を変えているそうで、開発された方々の工夫と努力には本当に頭が下がります。自分は中国語も韓国語も使えないので当面関係ありませんが。

(注 1) Homebrew cask が導入済みであれば;
brew tap caskroom/fonts
brew cask install font-source-han-sans
brew cask install font-source-han-serif
(訂正)コマンド 3 発でした。
Homebrew の導入もこちらで簡単。
https://brew.sh/index_ja.html
カテゴリー: Mac

SIM フリーの iPhone を IIJmio で使っている人が海外で現地の SIM を入れるときの注意

海外出張で現地の SIM を使いたいのと、いわゆる三大携帯キャリアと契約したくないので SIM フリー iPhone を買って、IIJmio の SIM を入れて使っていますが、現地で SIM を買って入れる際に必ずすべきことがあって、これを忘れていたためにハマりまくったので、備忘のために書いておこうと思います。
(以下、おそらく IIJmio ユーザー以外の方々には関係ない話だと思います。)



IIJmio で iPhone を使う場合、「APN 構成プロファイル」がインストールされているはずです。これは「設定」-「一般」-「プロファイル」の中にあります。これがインストールされている状態で他社の SIM を入れると、電話は繋がるけどインターネットに繋がらないという状態になります。

今回はロンドンで EE という会社の SIM を買いました。説明書には SIM を入れるだけで OK みたいなことが書いてあるだけですが、実際には SIM を入れてからしばらく待つ必要があります。これを知らなかったので SIM を入れても電話すら繋がらなくて焦りました。
しばらくすると EE から SMS が届きます。これが来た時点で電話が使えるようになりました(市内某所に電話をかけて呼び出し音がしたことを確認)。
もし前述のとおり APN 構成プロファイルを削除していたら、おそらくこの時点でインターネットにも繋がったと思いますが、それを忘れていたのでネットに繋がらず、説明書を読み返したり電源を入れ直したりして時間を空費しました。何かの拍子にプロファイルを削除すべきことを思い出し、削除してみたところあっさり解決 (^_^) 。

逆に日本に帰ってきたら、元の SIM に箚し直すだけではなく、当然ながら APN 構成プロファイルを再度インストールする必要があります。したがって海外に行く前に IIJ の Web サイトに行って APN 構成プロファイルが掲載されているページを Safari のブックマークに登録しておくといいと思います。そうすれば帰国後すぐに空港の無料 WiFi でそこに繋いで、簡単にプロファイルをダウンロードできます。

以上、備忘のために書いてみましたが、次に海外に行くときにはここにこんな事を書いたことすら忘れそうです。


反省会(田園都市フィルハーモニー管弦楽団 第 16 回定期演奏会 2018.10.7)

エキストラで参加させていただいた田園都市フィルハーモニー管弦楽団での演奏会の録音をいただいたので反省会など。
最近は録音の CD ができる前に電子データで録音を聴けることが多いので、演奏した時の記憶が薄れる前に聴けて良いですね。



「大学祝典序曲」と「幻想序曲『ロミオとジュリエット』」では 1st を担当させていただきました。いずれも少ない練習回数で急ごしらえではありましたが、メンバーの皆様に致命的な迷惑をかけずに一人分の役目を果たせたという意味では及第点かなと思いました。
「大学祝典序曲」は当日のリハーサルで裏打ちと噛み合わず慌てたところがありましたが、本番では問題なく無難に進行 (^_^) 。全体的にバランスも悪くなく、でしゃばり過ぎていないがちゃんと聴こえているという感じですが、欲を言えば Trb. セクションとしてのまとまりはイマイチな感じで今後の反省点かなと思いました。

個人的に最も難しかったのは『ロミオ〜』で、本番当日までいろいろ不安が拭えませんでしたが、始まってみると本番で最も楽しめたのはこの曲だったかもしれません。練習で一度も間違えなかったところで凡ミスやらかしましたが(14:02 付近)、いきなりフォルテで一発出るところも、変則的なリズムで普段だったらビビりそうなところも迷わず行けた不思議な感覚がありました。これはおそらく結構飛ばしてた金管セクションの皆様のサウンドと、練習段階から始まっていた金井先生の雰囲気づくりのおかげだったのだろうと思います。ある意味、金井先生の術中にうまくハマれた感じがします。
そう思うと前述の凡ミスと、最後の最後でタイミングを探ってしまったのが残念でなりません。最後の音は金井先生とオケの間合いをつかめなかったために一瞬迷いました。あれは迷わずキメたかったところでした。

ドヴォルザークの交響曲第 8 番では普段めったにやらない 2nd を担当させていただいたので、そもそも自分がうまく 2nd にハマれるのかという不安が若干ありましたが、本番までには何とか 1st に追随して自分の居場所を見つけることができました。
録音を聴いてみると Bass Trombone が意外とワイルドに鳴らしてたので(本番中は隣がこんなに鳴っているとは感じていなかった)、もうちょっと自分も鳴らすべきだったかなとか、まだまだ周りを聴けてないないな、などと反省しましたが、まあ全体的には悪くなかったのではないかと思いますし、数少ないメロディラインにはそれなりにメッセージを込める的な吹き方もできたので、自分自身も楽しめた本番でした。

金井先生の棒楽しかったなぁ。


合奏での眼鏡選び

四十代も半ばを過ぎてから使い始めた眼鏡(乱視 + 老眼)にも慣れてきて、最近は一日のうちで眼鏡をかけている時間が長くなってきましたが、楽器(今は主に Trombone と Baritone)を吹くときだけはずっと裸眼でした。理由は主に二つあって、一つめは楽器を吹くときに顔が若干下向きになるので上側のフレームが指揮者とカブって邪魔なこと、二つめは横方向の視界が狭くなるような気がすることです。

これは意外といけるかもと思い、ブラスバンドの練習で Baritone を吹くときにも試してみましたが、これが意外と不快。理由は恐らく指揮者の場所が自分から見てかなり左寄りなのと、オケでの Trombone の時と比べて譜面台が近いためだと思われました。そこでもう一つの眼鏡(デスクワーク用の中近両用)に切り替えたら違和感が減りましたが、本当に合っているかどうかよく分からなくて、合奏中に何度か眼鏡をかけ換えて試しました。

しかし考えてみたら眼鏡プレイヤーは周りにもたくさんいるので、「もしかしたら自分の顔が下向き過ぎるのかも」と思い直して、先日のオーケストラの練習で、むしろ上側のフレームが指揮者に重ならないように意識して、メガネをかけ続けてみたら、意外と何とかなりました。このくらいの距離だと老眼部分の出番はなくて乱視部分のみの使用になりますが、合奏全体をとおして目の疲れが激減し、その結果として体全体の疲れも軽めな印象です。

さらに昨日は別のブラスバンドの練習で Trombone だったので、こちらでも両方かけ換えて試してみました。オケよりもブラスバンドのほうが配置が密集しているために譜面台が近くなり、どちらかというと中近両用の方が合うかな、という感じ。

結局、譜面台の距離に応じて使い分けることになりそうですが、どうもブラスバンドの時の譜面台の位置が、遠近両用と中近両用のそれぞれの守備範囲の間のスキマに入ってしまっているような気がしてなりません。かといって演奏用に新しく眼鏡を作るのもちょっとやり過ぎな感じもします。もうしばらくいろいろ試しながら様子を見ようと思います。


楽しく車を運転できるのはいつまでか

車が趣味とは言いませんが、車の運転は好きです。
別にサーキットに行かなくても、街乗りで普通に交差点を曲がるだけで十分楽しいです。そういった意味では安上がりな奴だと思います。
そんなに特別な車に乗っている訳ではありませんが、これまで所有した車は全てマニュアル・トランスミッションです。
車を運転する時間が最近ずいぶん減りましたが、運転席に座ってエンジンをかけるときは、今日もこの車を運転できるという安心感と、ちょっとした昂ぶりが必ずあります。
昂ぶりすぎても危ないので、このくらいがちょうどいいと思います。

でも、こんな楽しみをあと何年続けられるだろうかと思います。
そのうち世間の自動車は全て電気自動車か何かに移行していくでしょう。ガソリンを入手しにくくなる日も、意外とすぐかもしれません。ガソリンが極端に値上がりするかもしれませんし、電気自動車への移行を後押しするためにガソリン税が法外に引き上げられるかもしれません。そういう状況でもなおガソリン車に乗り続ける行為はもはやマニアとかエンスーの領域に入っていきます。

でも私は電気自動車の運転が楽しくなるとは到底思えないのです。
運転席に座って電源スイッチを入れる行為で昂ぶりを感じる自分を想像できません。そもそも AT 車に乗るだけでも既に相当モチベーションが下がっているくらいですから、レシプロエンジンがついてない車なんて絶望的です。我ながら面倒な奴に育ってしまったものです。

世間の自動車が電気自動車などに移行していくのは、主に気候変動を緩和(mitigation)するためです。
そのような社会に合わせて振る舞いを変えることを、気候変動への適応(adaptation)といいます。そういった意味では、世間の自動車が全て電気自動車になったときに、そこに楽しみを見出して生きていくのも、個人的なレベルでの気候変動適応と言えます。

実は仕事関係では、多くの企業に気候変動適応に取り組ませるにはどうするか、というような議論をしています。しかし気候変動への適応に最も時間がかかりそうなのは自分自身かもしれないのです。自動車メーカーの皆様にはぜひ、運転が楽しく感じられる電気自動車を開発していただきたいと思います。


私が生年月日を非公開にする理由

わざわざ書くほどの事でもないような気もするのですが、某所で話題になったので一応。

 

私は Facebook などのプロフィールで生年月日を非公開にしています。

歳がバレるのが嫌だからではありません。むしろ「意外と _ _ _ _ _ _ ですね」とか言われるのが面倒なので先に知っておいてほしいと思うくらいです。ちなみに 1968 年生まれで現在 50 歳です。

生年月日を非公開にしているのはセキュリティ上の理由です。

(写真は本文とは関係ありません。)

随分前のことになりますが、転居、転職、クレジットカードの引き落とし口座の変更などの理由でクレジットカード会社など複数の金融機関に、何度か電話しなければならない事がありました。オペレーターが電話に出ると最初に本人確認のプロトコルがあります。ここで何を聞かれるかは金融機関によって異なりますが、だいたい自分のフルネーム、住所、生年月日などを聞かれ、これに答えられれば「ありがとうございます、ご本人確認ができましたので…」ということで用件に入ります。

これをどう感じるかは人それぞれだと思いますが、私は「この程度の情報でいいの?」と若干心配になりました。もっと他に聞くことないのかよと。例えば暗証番号とかパスワードとか、最近そのカードで買ったものとか、好きな女優は誰かとか、本人でなければ知らなさそうな事をもうちょっと何か聞いて確認してくれよと思ったのですが、とりあえず生年月日を淀みなく言えれば本人確認をクリアできる可能性が格段に高まるようです。ということは、生年月日を他人に知られるということは、なりすましの被害にあう確率がかなり高くなるという事ではありませんか?

そう思った私は生年月日を公開するのをやめました。もちろん Facebook などではプロフィールの公開範囲を設定できますが、あんなの何らかのバグや設定ミス、予告なしの仕様変更でどうなるものか分かりません。

私が心配しすぎかもしれませんので、他の皆さんに同じようにすべきだと言うつもりはありません。これを読んで心配になったら非公開にすればいいし、心配しすぎだと思ったらそのままにすればいいと思います。むしろ、これが心配しすぎだ(=生年月日くらい知られても何の問題もない)ということを何らかの根拠とともに教えてくれる人がいたら私はとても嬉しいです。

私はこのような考え方ですので、生年月日は非公開にしていますし、Facebook で「今日は _ _ _ _ _ さんの誕生日です」という通知を見ても特に何もしません。冷たいなぁと思われるかもしれませんが、それよりも大事なことがあると今のところ思っていますので。