楽しく車を運転できるのはいつまでか

車が趣味とは言いませんが、車の運転は好きです。
別にサーキットに行かなくても、街乗りで普通に交差点を曲がるだけで十分楽しいです。そういった意味では安上がりな奴だと思います。
そんなに特別な車に乗っている訳ではありませんが、これまで所有した車は全てマニュアル・トランスミッションです。
車を運転する時間が最近ずいぶん減りましたが、運転席に座ってエンジンをかけるときは、今日もこの車を運転できるという安心感と、ちょっとした昂ぶりが必ずあります。
昂ぶりすぎても危ないので、このくらいがちょうどいいと思います。

でも、こんな楽しみをあと何年続けられるだろうかと思います。
そのうち世間の自動車は全て電気自動車か何かに移行していくでしょう。ガソリンを入手しにくくなる日も、意外とすぐかもしれません。ガソリンが極端に値上がりするかもしれませんし、電気自動車への以降を後押しするためにガソリン税が法外に引き上げられるかもしれません。そういう状況でもなおガソリン車に乗り続ける行為はもはやマニアとかエンスーの領域に入っていきます。

でも私は電気自動車の運転が楽しくなるとは到底思えないのです。
運転席に座って電源スイッチを入れる行為で昂ぶりを感じる自分を想像できません。そもそも AT 車に乗るだけでも既に相当モチベーションが下がっているくらいですから、レシプロエンジンがついてない車なんて絶望的です。我ながら面倒な奴に育ってしまったものです。

世間の自動車が電気自動車などに移行していくのは、主に気候変動を緩和(mitigation)するためです。
そのような社会に合わせて振る舞いを変えることを、気候変動への適応(adaptation)といいます。そういった意味では、世間の自動車が全て電気自動車になったときに、そこに楽しみを見出して生きていくのも、個人的なレベルでの気候変動適応と言えます。

実は仕事関係では、多くの企業に気候変動適応に取り組ませるにはどうするか、というような議論をしています。しかし気候変動への適応に最も時間がかかりそうなのは自分自身かもしれないのです。自動車メーカーの皆様にはぜひ、運転が楽しく感じられる電気自動車を開発していただきたいと思います。


私が生年月日を非公開にする理由

わざわざ書くほどの事でもないような気もするのですが、某所で話題になったので一応。

 

私は Facebook などのプロフィールで生年月日を非公開にしています。

歳がバレるのが嫌だからではありません。むしろ「意外と _ _ _ _ _ _ ですね」とか言われるのが面倒なので先に知っておいてほしいと思うくらいです。ちなみに 1968 年生まれで現在 50 歳です。

生年月日を非公開にしているのはセキュリティ上の理由です。

(写真は本文とは関係ありません。)

随分前のことになりますが、転居、転職、クレジットカードの引き落とし口座の変更などの理由でクレジットカード会社など複数の金融機関に、何度か電話しなければならない事がありました。オペレーターが電話に出ると最初に本人確認のプロトコルがあります。ここで何を聞かれるかは金融機関によって異なりますが、だいたい自分のフルネーム、住所、生年月日などを聞かれ、これに答えられれば「ありがとうございます、ご本人確認ができましたので…」ということで用件に入ります。

これをどう感じるかは人それぞれだと思いますが、私は「この程度の情報でいいの?」と若干心配になりました。もっと他に聞くことないのかよと。例えば暗証番号とかパスワードとか、最近そのカードで買ったものとか、好きな女優は誰かとか、本人でなければ知らなさそうな事をもうちょっと何か聞いて確認してくれよと思ったのですが、とりあえず生年月日を淀みなく言えれば本人確認をクリアできる可能性が格段に高まるようです。ということは、生年月日を他人に知られるということは、なりすましの被害にあう確率がかなり高くなるという事ではありませんか?

そう思った私は生年月日を公開するのをやめました。もちろん Facebook などではプロフィールの公開範囲を設定できますが、あんなの何らかのバグや設定ミス、予告なしの仕様変更でどうなるものか分かりません。

私が心配しすぎかもしれませんので、他の皆さんに同じようにすべきだと言うつもりはありません。これを読んで心配になったら非公開にすればいいし、心配しすぎだと思ったらそのままにすればいいと思います。むしろ、これが心配しすぎだ(=生年月日くらい知られても何の問題もない)ということを何らかの根拠とともに教えてくれる人がいたら私はとても嬉しいです。

私はこのような考え方ですので、生年月日は非公開にしていますし、Facebook で「今日は _ _ _ _ _ さんの誕生日です」という通知を見ても特に何もしません。冷たいなぁと思われるかもしれませんが、それよりも大事なことがあると今のところ思っていますので。


クラスター爆弾に関するメモ

報道

「国際法禁止クラスター爆弾メーカー、三菱UFJなど金融160社が投資」
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/05/ufj160.php

毎日新聞「クラスター爆弾製造 日本4社が投融資 NGO報告書」
https://mainichi.jp/articles/20170528/k00/00m/040/106000c

朝日新聞「日本の4社、クラスター爆弾製造企業に投資 NGO発表」
http://www.asahi.com/articles/ASK5R55NPK5RUTFK00R.html

NGO のサイト

http://www.stopexplosiveinvestments.org/

PAX による報告書 2017 年版

http://www.stopexplosiveinvestments.org/report

報道状況のまとめ http://www.stopexplosiveinvestments.org/uploads/launch%202017/2017%20Press%20Coverage%20Explosive%20Investments.pdf

 

企業からのメッセージ

三井住友信託銀行「エンゲージメント – グローバルなESG課題解決に向けての参画例」

http://www.smtb.jp/csr/ri/engagement_policy.html

 

解説

「クラスター爆弾」への投融資に関する報道相次ぐ…ESG投資への関心高まるきっかけか

http://www.quick.co.jp/page/quick_report_detail.html?detailNo=12405


僕が Facebook のアイコンをトリコロールにして、しばらく外さない理由

フランスで痛ましいテロが発生して間もなく、Facebook で自分のアイコンにトリコロールを被せる機能がついたのを知った時、ほとんど躊躇なく自分のアイコンに使った。理由は単純で、フランスの皆さんを励ますために、少しでもできる事があればしようと思ったから。Facebook の画面上でトリコロールのアイコンが増えたら、喜ぶフランス人がいるんじゃないかと思った。ただそれだけ。
別にフランス人の友達がいる訳じゃないけど、たまに海外の記事に「いいね」したりするので、自分のアイコンがフランス人の目に触れる可能性も多少はある。
しかし、まさかアイコンをトリコロールにすることの是非が、こんな議論になるとは思わなかった(と言ってもほとんどネット上の話だろうが)。



いくつかの記事を読んだところでは、アイコンのトリコロール化に対して批判、もしくは違和感があるという理由は、だいたい次のようなものではないかと思う。もちろん、それぞれ真っ当な意見だと思うし、これらの意見に対して反論しようとも思わない。

1) 中東などフランス以外の方がテロの犠牲者は大勢いるし、大規模な事件もあった。そういう時には何もしなかったのに、何でフランスの時だけそうするのか?中東の人達は犠牲になっても平気なのか?

2) 自爆テロ犯は許さないのにシリアを空爆するフランス軍および政府は許すのか?

(他にもいろいろ論点があったかもしれないけど、読んでない記事もたくさんあるし、意図を汲みきれてないものも多いと思うので、自分に理解できたのはこのくらい。)

1) に関しては、自分がフランスのテロ以外の事件で何も行動を起こさなかったのは、自分にとっては今回のフランスでのテロほどのインパクトが無かった、というのが正直なところ。自分にとって、やはり中東の存在感は欧米に比べて、まだまだ小さいと思う。
ヨーロッパの音楽は好きだけど中東の音楽はほとんど知らない。「ボンジュール」とか「メルシー」は(発音の良し悪しは別として)言えるけど、アラビア語は全く知らない。BBC や CNN はたまに見るけどアルジャジーラは全く見ない。結果的に情報量だって大きく変わる(注1)。将来的にはこういうギャップは小さくすべきなのかもしれないし、中東やアジア、アフリカなど、欧米以外の人達とも仲良くやっていきたいと思っているが、現状ではどうしてもギャップというか偏りはある。
結果として、中東のどこかの国で何か事件があったときも、具体的な行動は何もしなかった(注2)。赤十字に寄付くらいした事はあったかな?忘れた。

上の 1) のような論調の記事をいくつか読んだとき、若干の後ろめたさを味わった。言われてみればその通りだ。フランス人が 100 人死んだ時と、レバノン人が 100 人死んだ時とでは、フランス人が死んだ時のほうがインパクトが大きかった。という事は、俺にとってはフランス人の命のほうがレバノン人の命よりも重いんだな。ひどい奴だよな俺は。
そういう偏った自分と改めて向き合って、それなりに考えたけれども、そんな後ろめたさを理由にして、フランスの人達を応援したい気持ちにブレーキをかける必要は無いと思った。だからトリコロールを外さないことにした。

2) について。もちろんフランス政府による空爆は行うべきでないと思う(このタイミングで空爆をやめたらテロリストの思う壺、みたいな駆け引きの話は別)。別にトリコロールを使ったからといって、フランス政府がやること全てに賛成という意味ではない。犠牲になった方々や、その関係者の方々、フランス国内で悲しみに暮れている方々の総体を象徴するものとしてフランス国旗が使われているだけ。フランス国旗以外に代案も無いし、Facebook が用意してくれたから使った。それだけの話。
東日本大震災のあと、世界中で大勢の人達が日の丸を使って勇気づけてくれた。あの時の日の丸は「日本人」に対して使われていたのであって、当時の政権を支持するという意味ではなかったと思う(そういう意図で使っていた人もいたかも知れないが)。それと同じだ。

上の 1) にしても 2) にしても、自分より広い視野で、より公平中立なものの見方ができる人の意見なのだと思う。それに比べたら自分は偏っていて、バランス感覚を欠いているかも知れない。しかし誰だって人それぞれ何らかの偏りはある。中立やバランスばかり気にしていたら何も言えなくなってしまう。それなら自分は、多少間違っていても、批判されることがあっても、自分の思うところを表現し続けたいと思う。

まさかアイコンひとつでこんなことを考えるような事態になろうとは思ってもみなかった。


注1)事件後しばらく BBC や CNN の臨時ニュースを見ていたので、映像のおかげで余計に印象が大きくなった可能性はある。そういった意味では、あまり報道されなかった(らしい)地上波を見続けていたほうが、むしろニュートラルでいられたかも知れない。

注2)もしシリアやレバノンでテロが発生した時に、Facebook が同じような機能を提供したら、使ったかも知れない。そういう小さなきっかけの有無によっても行動は変わる。この点(なんで中東でテロが発生した時に Facebook は同じようなことをしなかったのか?)を追求していた記事もあったが、Facebook にそこまで公平さ、中立さを求めるのも如何なものかと思う。いくらユーザー数が増えたとはいえ、アメリカの一企業なんだから。