読書メモ『空白の天気図』(柳田邦男)読了

この本を始めて読んだのは大学生の頃でした。御巣鷹山に旅客機が墜落した事故のニュースを契機に柳田邦男さんの存在を知り(当時は「航空評論家」という肩書きで NHK のニュースに出ていた)、『マッハの恐怖』や『航空事故』など柳田さんのノンフィクションを片っ端から読み漁った時期がありました。当時は新潮文庫に柳田さんの一連の作品が並んでおり、古本屋で柳田さんの文庫本を全部買って読んだ中に『空白の天気図』もありました。

その後二十年以上経って、たまたま気象台の方々と関わる仕事を担当することになったので、あらためて読み直してみようと思い、kindle 版を購入しました(本棚には若干色の変わった文庫本がまだあります)。



この本は昭和 20 年 8 月の原子爆弾と同年 9 月の枕崎台風という二つの災害に対峙した広島地方気象台の関係者を、丹念な取材に基づいて描いたノンフィクションです。

柳田さんの他の作品にも共通して言えることですが、徹底した取材で収集した資料や判明した事実に基づいて詳細かつ具体的に書かれているからか、文章に迫力があります。きっと膨大な取材ノートが蓄積されているんだろうな、と想像させられるリアルさです。もちろん私は柳田さんの取材ノートなど見たことはありませんが、文章を読んでいると膨大な資料や取材ノートの山が目に浮かぶようです。パソコンもインターネットもない時代に、これだけの情報を集めて、整理して、文章にするのは大変な仕事だっただろうと想像します。

序章は鹿児島県の枕崎測候所で、台風が接近する中で必死で観測を行う場面から始まり、ここで読者は当時の気象観測がどれだけ大変な作業だったかを知ることになります。しかも通信線が途絶しているため観測データを中央気象台(現在の気象庁)に打電できず、そのため中央気象台では猛烈な台風が近づいていることを知ることができずにいます。

今では恐らく気象観測の多くは機械化・自動化され、膨大なデータが途切れることなく送受信されて規則正しく天気予報が発表されますから、我々にとって天気予報は空気のような「あって当たり前」のものになっていると思いますが、冒頭数ページを読むだけで当時の気象観測の大変さ、天気予報の有難さ、防災における気象情報の重要性が非常に強く印象付けられます。この本を読み進めるには、まずこの序章を読んで気象情報の価値や重みの感覚を調整する必要があったのだろうと思います。

また、終戦を間近に控えた中央気象台の状況が書かれた部分で、原子爆弾投下当日の様子が次のように記述されています。

「八月六日のことであった 。広島地方気象台からの気象電報が一日中届かないという事態が起こった 。広島が空襲を受けたことは 、午後になって合同勤務の軍からの情報でわかったが 、どの程度の被害が生じたのかについては皆目不明であった 。地方都市からの通信が途絶することは日常茶飯事になっていたから 、中央気象台の予報現業室では 、広島のデ ータが途絶えていることにはじめのうち注意を払う者はいなかった 。」

当時の情報の伝わり方ってこの程度だったんですね。昨年見た映画『この世界の片隅に』でも、呉に住む方々が広島で起こったことを知るまで随分時間がかかった様子がリアルに描かれていました。あれは一般市民の目線でしたが、この本によると中央官庁においても広島で何が起こったのか分かっていなかったんですね。そのような事も含めて当時の状況が克明に描かれていて、大変読み応えのある本です。

この本の中で中心人物として描かれている技師が数度の転勤を経て広島地方気象台に戻ってきたところから後が「終章」となっています。この終章が結構長く、しかもとても重たい問題提起も含んでいて、ずっしりとした読後感が残りました。

この本はかつて新潮社から出版され、新潮文庫に収められたあと絶版となったものを、東日本大震災の後に他の著作とともに文春文庫として復刻されたものです(私が最初に読んだのは新潮文庫版でしたが、kindle 版は文春文庫版が底本となっています)。柳田さんが東日本大震災における原発事故を目の当たりにして、かつて『空白の天気図』にこめたメッセージをあらためて届けたいとの思いから、このような復刻を提案したとのことです。そういった意味では、既にこの本を読んだことがある人も、いま改めて読みなおす意味があるように思います。