現在東京芸術劇場シアターイーストで公演中の、劇団 DULL-COLORED POP 福島三部作の第三部初日を観てきました。
同じ劇団で同じ作家による連作、かつ同じ人の演出でありながら、先日観てきた第二部とは随分異なるテイストの劇になっていました。私はまだ第一部を観ていませんが、恐らく第一部、第二部を観ていない人が第三部だけ観ても十分楽しめると思います。
もちろん第一、二部との繋がりが現れるシーンもあって、分かれば分かったで面白いのですが、割合としてかなり少ないので、前作を知らないと話の成り行きを理解できないという事はないと思います。
「異なるテイスト」というのはどの辺だったかというと、私にとっては第二部と違って、泣ける場面とかは無くてひたすら考えさせられる舞台だったということです。「私にとっては」とわざわざ書いたのは、twitter でいろいろな人の感想を見ると、感動したとか泣いたという方々も結構いらっしゃるからです。もしかして自分は感受性が低いのか?と余計な心配をしたりもしました。
いや、面白くなかったという意味ではないんです。役者さんたちが(たぶん)舞台からほとんど降りず(でも多くの方々は二役やってて)、舞台のセットはほとんど変わらず、劇の流れはほとんど止まらず、しかし明確に次々と場面転換していくという展開は見事という他ありません。
そのような舞台にいる役者さんたちから発せられる言葉は、ひとつひとつが重く、研ぎ澄まされたものでした。余計なお世話だとは思いますが、これらを台詞として語る役者さんたちも苦しく辛かったかもしれません。
舞台で語られていた苦労や風評被害、差別などの問題については、知識・情報として知っていたものも多かったのですが、とても考えさせられる見せ方で突きつけられたと思いました。
これらの言葉を劇場で、生で突きつけられるという経験をできて良かったと思いました。
この経験は今しかできないと思うと、できるだけ多くの方々に劇場に足を運んでほしいと思わずにはいられません。
上演スケジュールや空席情報、チケットの買い方などはこちらが分かりやすいと思います。—> 「DULL-COLORED POP(ダルカラ) 福島三部作 一挙上演 チケットご予約方法など諸々ざっくりまとめ!」(出演者の方のブログです)
第三部は「語られたがる言葉たち」というタイトルですが、誰でも何かしら「語られたがる言葉」を持っていると思います(私も第三部を観て新たな「語られたがる言葉」が出来てしまったから、こんな夜中まで起きてブログ書いてる訳ですが)。そんな言葉を語ることがいかに大事か、どれほど難しく、辛いことかを考えさせられた劇でした。
劇としてはこの第三部で完結しますが、現実の問題はまだ続いています。それを忘れてはいけないと思いますし、忘れさせまいという意図が感じられるエンディングでした。台本の内容と役者さんの語り方の両面からそのような意図を感じました。