劇団 DULL-COLORED POP の「マクベス」で新たな演劇の楽しみ方を知った

今日が最終日となった DULL-COLORED POP (以下「ダルカラ」と略記)の演劇『マクベス』を、12 月 12 日(初日)、18 日(6 日目)、22 日(最終日)の 3 回にわたって鑑賞しました。同劇団の作品を鑑賞するのは「あつまれ!『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』まつり」「福島 3 部作・一挙上演」に続いて 3 回目となりましたが、今回はシェイクスピアの古典だったこともあり、私にとって全く新しい演劇体験となりました。

この時期にダルカラが『マクベス』を上演することは、「福島 3 部作・一挙上演」の上演時に配布されたチラシで既に知っていたので、スケジュールは空けてあったのですが、どのような舞台になるかは講演数日前に発表されたビジュアル以外なかったので、とりあえずシェイクスピアの原作を予習して初日に臨みました。

予習にあたって参考にしたのは次の 2 つで、いずれも Amazon Kindle で読めます。
(しかも安西徹雄訳は kindle unlimited で無料 \(^_^)/ )

初日数日前にダルカラの Web サイトをあらためて見ると、今回の台本が松岡和子氏の翻訳に基づいていることが分かったので、こちらも Amazon で購入したが、こちらは kindle になっておらず紙の本で、手元に届いたのが初日当日だったので、これを読むのは間に合わず初日を鑑賞しました。

まず舞台や衣装、音楽などが現代であることに驚きました。マクベスやバンクォーはネクタイしてるし、マクベス夫人は Taylor Swift か何か聴きながらバスタブに浸かって、マクベスからの手紙を iPad で読んでます。原作では伝令から伝えられる情報は iPhone。マクベスが王位についたことをバンクォーは新聞で知ります。

しかし台詞は松岡和子訳『マクベス』のままです。これは後から松岡訳の本を読んで分かりました。90 分に収めるためにあちこち大幅にカットしたり、台詞の順序が入れ替わっていたり、台詞の割り当てを別の人に替えるなどの再構成は行われていますが、台詞の内容はおそらくほとんど変わっていないと思います。400 年以上前に書かれ、初演された劇が、現代社会を舞台にしても成立することに驚きました。演出や俳優の皆さんの演技の賜物だと思いますが、原作で描かれている人間の弱さとか、闇に怯える者の苦悩、権力を手にして変貌する者の恐ろしさなどを、これでもかと見せつけられる印象的な舞台でした。

そして恐らく、今回の公演の妙味のひとつは、たった 6 人で『マクベス』を演じるというキャスティングだったと思います。

演劇にさほど詳しくなく、直前に原作を読んだだけの私でさえ、初日の劇場で配布されたキャスティングを見て、これがいかに大変か容易に想像できました。しかも百花亜希さんに至ってはマクダフ一家を全部ひとりで演じるとか。このキャスティングを見たときには、『福島三部作』で見たようなドタバタ(明らかに着替えが間に合わないことで笑いを誘う)があるのかと思いましたが、『マクベス』においてはそのような笑いはなく、他の方々も含めて見事な早着替えと演技の切り替えでこなしておられました(他の部分での笑いはいろいろありました)。見事としか言いようがありません。

さらに、Web サイト上でも「大胆不敵な翻案上演」と書かれているとおり衝撃的なラストシーンがあり、現政権に対する皮肉も加わって、今しかできないマクベス、シェイクスピアには決して書けないマクベスになっていました。そういう意味でも、演劇の面白さや可能性を示す舞台だったように思います。

このラストシーンについては演出の谷賢一さんが tweet されていますので引用します。

 

また私にとって貴重な体験となったのは、3 回の観劇の間に松岡和子訳『マクベス』を読むことで、より劇に対する理解が深まったことでした。松岡氏による翻訳は 1996 年に松本幸四郎の主演で上演されるために行われたようですが、その際に松岡氏が原文をどのように解釈したか、脚注や訳者あとがきで詳しく説明されています。

特に松岡氏は、マクベスと夫人との距離感がどのように変わったかという部分を丁寧に説明してくださっており、そういう文脈を理解した上で改めて鑑賞した 2 回目では、マクベス夫妻の距離感の変化や、その過程におけるマクベスの態度の変化などが、見事に表現されていることに気付いて感動しました。これは、松岡氏の翻訳を読んでダルカラの舞台を観るという両方があって初めて味わえた感動だったと思います。

演劇に詳しい方々にとっては当たり前なのかもしれませんし、古典ならではなのかもしれませんが、演劇にこういう楽しみ方があるということを知ったのは、とても大きな収穫でした。このような機会を与えてくれた松岡和子氏とダルカラの皆さんには本当に感謝しています。これからも、いろいろな公演に足を伸ばして、多様な演劇を楽しんでいきたいと思います。

組曲「展覧会の絵」プログラムノート

自分が所属しているオーケストラの演奏会でムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」を演奏したときに、この曲のプログラムノートを書かせていただけることになりました。

演奏会は既に無事終了しましたが、原稿が自分のハードディスクの中に眠っているだけなのもどうかと思いますし、もしかしたら何かの間違いで誰かの役に立つこともあるかもしれないので、ここに載せておくことにしました。


皆様に本日お聴きいただく組曲『展覧会の絵』の楽譜が世に出るまでには、作曲者のムソルグスキーをはじめとして、建築家であり画家であったガルトマン、芸術評論家のスターソフ、作曲家のリムスキー・コルサコフとラヴェル、そして指揮者のクーセヴィツキーという 6 人が関与している。もし彼らのうち一人でも欠けていたら、この曲が現代のオーケストラで演奏されることはなかったであろう。

ムソルグスキーは 1870 年ごろにガルトマンと出会い、親交を深めてゆくが、ガルトマンは 1873 年に動脈瘤破裂のため急死してしまう。スターソフはガルトマンが遺した作品を集めて、1874 年 2 月にペテルブルクの芸術アカデミーにてガルトマンの遺作展を開催するが、そこに訪れたムソルグスキーが、かつての盟友ガルトマンの作品を見たときの印象をもとに、ピアノ曲として同年 6 月から 7 月までの間に一気に書き上げたのが、組曲『展覧会の絵』である。自筆譜には「ヴィクトル・ガルトマンとの思い出に」と書かれており、作品はスターソフに献呈されている。

この楽譜はムソルグスキーの生前に世に出ることはなかったが、彼の死後に遺稿の整理にあたったリムスキー・コルサコフがこれを発見し、彼自身が若干の校訂や変更を加えたものが 1886 年に出版された。ところが、この曲が世界各国で広く演奏されるようになったのは、1922 年にラヴェルがオーケストラ用に編曲した後である。この編曲をラヴェルに委嘱したのは、当時パリを拠点として活動していたロシア出身の指揮者クーセヴィツキーであった。

ラヴェルが編曲に着手した当時出版されていたピアノ譜には、リムスキー・コルサコフの手が入っていたため、ムソルグスキーによる自筆譜を入手しようと試みたが実現しなかった。したがって彼はリムスキー・コルサコフ版をもとに編曲せざるを得なかった(ちなみに自筆譜による原典版は 1932 年に出版されている)。その結果としてラヴェル編曲のオーケストラ版には、リムスキー・コルサコフによる校訂や変更の影響が含まれている。

このような経緯を経て成立した曲であるため、リムスキー・コルサコフおよびラヴェルの手によって、原曲になかった表情や色彩が加えられた面があることは否めないが、それでもこの曲がガルトマンに対するムソルグスキーのオマージュであることに変わりはない。

遺作展には約 400 点もの作品が展示されたとの事であるから、訪れたムソルグスキーも多くのインスピレーションを得たと思われ、これを受けて作曲された本作品にも多彩なキャラクターが詰め込まれている。しかしながら組曲全体を通して最も重要なテーマは「死」であろう。作曲のきっかけがガルトマンの死とその遺作展であったからか、組曲のあちこちに「死」を連想させる要素が散見される。

例えば 2 曲目の「古城」におけるアルト・サキソフォンのソロには「con dolore」(悲しみをもって)と指定されているし、4 曲目の「ビドロ」冒頭の伴奏部分はショパンのピアノソナタ第 2 番の第 3 楽章「葬送行進曲」に酷似している。8 曲目の「カタコンブ」の題材となった絵は、ガルトマンがパリにあるカタコンブ(古代ローマ時代の地下墓地)を見学している様子を描いた自画像であるから、最も「死」に直結した曲と言えよう。これに続いてオーボエとコーラングレがプロムナードに基づく悲しげな旋律を奏でる箇所から約 2 分間の部分には、「死者の言葉による死者との対話」という意味のラテン語のタイトルが付けられている。恐らく「カタコンブ」の絵に描かれたガルトマンの姿を見たムソルグスキーが、故人に思いを馳せている場面の描写であろう。木管楽器を中心に思いを巡らせながら、最後はまるでハープに導かれて昇天していくかのようである。

しかしながら終曲となる「キエフの大門」は、盟友の死による悲しみを乗り越え、故人を偲ぶというよりはその偉大さを称えるような、スケールの大きい荘厳な曲となっている。9 曲目の「鶏の足の上の小屋(バーバ・ヤガー)」から続けて演奏され、管楽器とティンパニによる雄大な響きで始まる。途中で木管楽器の弱奏による、ロシア正教会の聖歌を思わせるフレーズを 2 回はさんで、さらにプロムナードの旋律を重ねながら、鐘やシンバルなどの打楽器を伴って壮麗に幕を閉じる。

(参考資料)