先日の某楽団の練習でふと考えたことで、特に結論もオチもありません。
譜面に「Maestoso」という指示があるときに、自分がどうするかというと、自分なりの Maestoso のイメージで演奏してるだけなんですよね。その「自分なりの Maestoso のイメージ」というのは、過去に経験した曲の中で「Maestoso」と書かれた部分でとういう感じで演奏したか、の積み重ねだったりします。恐らく中学生や高校生の時に演奏した多数の吹奏楽曲の影響が大きいのだろうと思いますが、具体的にどういう曲の影響を受けているのかのかは、正直よくわかりません。
日本の音楽教育では確か「荘厳に、堂々と」などと訳すように決まってたと思います。しかし、そもそも「荘厳」ってどんなの?っていうのも人によって違うんですよね。普段まず使わない表現だからなおさら……..。あらためて辞書で調べてみたら、読み方から「そうごん」と「しょうごん」とあって、それぞれ意味が違うんですね。
こんな状況で「荘厳」という言葉からどういうものを連想するか。バッキンガム宮殿を連想する人とタージマハルを連想する人とでは、違ったイメージの演奏になるかもしれません。イタリア人の Maestoso とアメリカ人の Maestoso も違うかもしれないわけです。私なんぞは以前に唐招提寺の襖絵(東山魁夷作)を見たときの印象を不意に思い出したりするので、もはや説明不能な状況に….。
結局は演奏しながら他の奏者のふるまいを感じたり、演奏するたびに奏者どうしで話したり、指揮者や聞き手からフィードバックを受けたりしながら、その曲における Maestoso を作っていかなければならないのでしょうね。もちろん他の表現についても、例えば stringendo という指示を見たときに、どのへんからどうやって仕掛けていくかとか、というようなことも同様なんだろうなと。
ああ何か当たり前のことを書くために無駄なデータ通信を発生させてしまった。
(写真は本文とは関係ありません。)